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HOME親子でおでかけ・遊び施設【うつりゆく街並み】多摩川住宅の歴史

ぴーれ編集記者のなっつです。

【うつりゆく街並み】多摩川住宅 -プロローグ―という記事はもうお読みになりましたか?
この記事は多摩川住宅シリーズの第2弾です。

さて、今回はタイトルの通り多摩川住宅の歴史についてです。
筆者がまとめるにはちょっと難しかったので、ぴーれメンバーのZAKIさんに書いてもらいました!

それではどうぞ☆

多摩川住宅の歴史

狛江市と調布市にまたがる多摩川住宅は、物理的な意味だけでなく、狛江の人たちの心にも大きな存在感を占めているのではないでしょうか。高さ40メートルの給水塔は、狛江のランドマークの一つと言っても過言ではないかもしれません。

多摩川住宅外観写真

しかし、時は流れ、巨大団地誕生の背景となった高度経済成長期から、少子高齢化と人口減少の時代へと、社会は変化しました。建設から半世紀以上が経過した建物自体も老朽化しました。今、大きな曲がり角を迎えている多摩川住宅について振り返ってみました。

建設の背景

かつて、多摩川沿いに「千町耕地」と呼ばれる広大な水田地帯がありました。低い土地だったので、多摩川の水が上がってくることも珍しくはなく、遊水池としての役割も果たしていたそうです。昭和30年代後半、ここが東京都住宅供給公社に譲渡され、多摩川住宅の敷地となります。

 太平洋戦争の敗戦直後から、東京の人口はほぼ毎年30万人が増加し、東京大都市圏の膨張が急速に進みました。こうした状況に対応するため、政府は大規模住宅団地の建設を可能にする法整備を行い、住宅建設を本格化しました。
 狛江では多摩川住宅のほか、神代団地、都営狛江アパートが相次いで建設され、いずれも昭和40年ごろから入居を開始しています。

若い世代が集まるモダンな団地の生活

千町耕地は低湿地だったので、多摩川の対岸の多摩丘陵から土砂を運び、2ー3メートル、盛り土をした上で、昭和39(1964)年の東京オリンピックのころに建設が始まりました。
 第1期工事が完成したのは昭和41(1966)年秋で、9月には入居が始まりました。抽選で選ばれた入居者の多くは20代から30代の若い世代でした。真新しい商店街や公園、テニスコートなどを備えたモダンな団地での生活は、当時の憧れの的だったようです。昭和44(1969)年5月には、皇太子殿下(現上皇陛下)が視察に訪れたこともありました。

 また、引っ越してきた子どもたちのために、狛江市側では昭和41(1966)年に狛江第四小学校が開校したほか、調布市側でも中学校と小学校が1校ずつ設立されました。
 多摩川団地音頭が作られて、盆踊りを盛り上げたこともありました。

多摩川住宅の公園の風景

公園では子どもたちが遊んでいました。

災害に見舞われたこともありました。記憶に新しいのが令和元(2019)年の台風19号による水害です。増水した多摩川の濁流が根川に流れ込んで逆流し、多摩川住宅にも浸水の被害がありました。

桜並木

多摩川住宅の外周に沿って流れる根川には、桜並木があります。
 根川さくら通りと呼ばれる辺りで桜が見ごろになる時期に「こまえ桜まつり」が開かれ、春の訪れを感じるイベントとして親しまれました。平成27(2015)年に市制施行45周年を記念して第1回が開催されて以降、毎年のように行われ、狛江の春の風物詩に。キッチンカーによる飲食の提供やイベントも企画され、多くの市民が花見を楽しみました。

 

文・写真:ZAKI
構成:なっつ


≪参考資料≫
画期的な団地、多摩川住宅建設《狛江市》

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